伊吹山麓は、日本そば発祥の地
作成:筒井杏正

伊吹そば
 日本のそばの歴史はかなり古く、高知県土佐市では紀元前の縄文土器から蕎麦を食した痕跡が、また同じく晩期に埼玉県岩槻市の遺跡からも蕎麦の種子が見つかっています。
以降、石臼を使ってそばを砕き粉にしてお湯で掻いて練った「かいもちひせん」として食べたという記述が宇治拾遺物語(鎌倉時代)で登場し、この"かいもち"は郷土色を交えながら全国に広まって行きました。
石臼のモニュメント
▲曲谷の石臼のモニュメント
 そして、現在のように”麺”として登場するのは、江戸時代になってからで慶長19年(西暦1614年)『慈性日記』に"そば切り"の文字が出てきます。
石臼のキャラクター
石臼のキャラクター
 しかし、江戸時代より以前、伊吹山麓の大平寺(伊吹山四大護国寺の1つ)が伊吹山3〜8合目付近でそば畑を耕作していた記録が残り、収穫後は、石臼を使って粉にし練り上げ"そば切り(麺)"にして食べていたと伝えられています。

 石臼は、姉川上流の曲谷に良質の花崗岩を産することから、平安の頃から近年まで石臼造りの里として知られ、このようなそば文化が発祥するにふさわしい環境にあったと思われます。
 なお、他の発祥地としては、長野県大桑村須原の定勝寺、中山道本山宿(現在の長野県塩尻市)という説、甲斐国の天目山栖雲寺(山梨県甲州市)の説があり、様々です。